ストーリーは誰にでも創れる
映像制作の中で敷居が高いと思われがちなのが脚本や企画に関してだと思いますが、私の通っていた大学にあった脚本コースのゼミの先生は「人は誰でも一生のうちで一本は傑作映画を書くことが出来る」というようなことを言っていました。自分の人生を書けばそれは傑作となるからだ、だとかなんとか。
実際には上記の言葉は「いくつもヒット作を作るには努力とテクニックが必要である」ということの裏返しとして出されていたものなので、引用としては悪質であると言えなくもないのですが、端的に創作における重要な側面を含んでいたので使わさせてもらいました。もし物語を創ることが何か特別なものであるかのように感じている人がいるとしたら、それはもしかしたら「物語」というものがなんであるのかというのを曖昧のままにしていて捉えられていないことが原因なのかもしれません。
成立過程から見えてくる「物語」というもの
現代においては消費文化の影響が強すぎて物語やストーリーというのもそれに引っ張られがちですが、その成立過程を考えていけばどうすれば「物語」を創っていけるのかが明確になってきます。つまり口伝や伝承というものはどういう経緯で残ってきたのだろうか、ということです。
結局それらは、地域社会や世間にとって有用な要素を含んでいた、という側面があるから生き残ってきたと考えるのが自然だと思います。その時に「物語」の骨子となるのは、
1.作者がどうしても言っておきたかったことがあった
2.それを共有していくことが、簡単に言ってしまえば「便利」だった
という2点に絞られます。上手いこと言えているのか、面白いのか、みたいなことというのはその便利さを後押しする要素となっていたということに過ぎないんです。それは根本ではありません。
創作は逆算して考えていく
創作していく時は、あらゆるタイミングで逆算をしていくと一歩ずつ前に進んでいきます。例えば何かに心が動いた、グッと来た場合、そのグッと来たのはどの点だったのだろうという所から始まり、最終的にその根っこにあるエッセンスまでさかのぼっていったりだとか。そしてそれがどうしても言っておきたいことで、多くの人々にとってその概念が有用である、ないしは人生を今よりも豊かにするものであるという予感や確信が作者に物語を創らせることになっていきます。
ポイントは2点だけでいいんです。どう見せようか、どう面白くしようかということは、これまた逆算でこの「どうしても言っておきたいこと」をより上手く伝えるためにはどうするのがベターかを考えていくことで徐々に洗練されていきます。そこで初期衝動に回帰してもいいですし、それなら別のモチーフの方がよりふさわしくないかと乗り換えてもなんの問題もありません。物語の軸となるのは2点だけです。そこに対するよりよいアプローチを突き詰めていけば、物語は自然と面白さを増していきます。それは時間をかけていいのであれば、誰にでもできることです。突き詰めていく段階でテクニックのような知識を要することになるわけですが、しかしながらそれはそれとして、創作することそれ自体は別段難しい事ではないのです。
ここでワンポイント。ナイスアイディアを躊躇なく捨てることが出来るようになった時が、いい創作のスタートラインです。捨てたとしても、それが素晴らしいモノであれば、よりよいタイミングでまた復活してきます。今、その作品のその場面において表現したい事柄には別のやり方の方がジャストマッチするというのであれば、ガンガン捨てていきましょう。
ひとまず作ってみる
何事も経験。ひとまず作ってみるというのも大事かと思います。やってみて初めて納得がいくテクニックや気付きなどもあるので、敷居が高いと思わずにどんどんやってみることを推奨します。物語の創作は様々な表現の基礎にもなりますし、なによりもここまでならばコストも安く済みますので。
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1件の返信
[…] 以前の記事で「ストーリは誰にでも創れる」と書きました。この記事の内容に噓偽りはありません。ませんが、その創ったストーリーが面白いかどうかは別問題です。ですので面白い物 […]